「自分が個人で取った特許を自分の会社に移したい。名義を変えるだけだから0円でいいだろう」——この考え方は危険です。社長個人の特許を会社に「0円」や「実費」で安易に譲渡すると、社長と会社の双方に予期せぬ税負担が生じるリスクがあります。
税務のルールでは、「社長個人」と「法人(会社)」は法律上まったく別の人格(別の財布)です。たとえ社長が100%株主の一人会社であっても、価値のある特許を個人から法人へ動かす行為は、税務署から見れば「価値ある資産が別の人格へ移動した経済取引」として扱われます。
では、税務上の問題が起きないようにするには、いくらで譲渡すればいいのか。結論を先に示すと、「第三者と取引する場合と同じ適正な価格(時価)」が原則です。特許には不動産のような固定の相場がないため、その特許が事業にどれだけ貢献しているかを評価して「時価」として算出し、それを根拠に譲渡価格を決める必要があります。
本記事では、0円・実費で譲渡した場合に何が起きるか、適正価格はどう算出するか、そして特許を「現在事業で使っているか(稼働特許)」「まだ使っていないか(休眠特許)」によって評価のアプローチがどう変わるかを整理します。
「自分の特許を自分の会社に移すだけなのに税金?」の疑問
会社を設立して事業が軌道に乗ってくると、特許が個人名義のままでは困る場面が出てきます。毎年かかる特許庁への維持費用(年金)を会社の経費として計上できない、将来ライセンス収入が発生したときに個人の所得として課税される、すでに会社がその特許を使っているのに使用料の取り決めがないまま放置している場合は会社側に受贈益として税が生じるリスクがある——こうした実務上の問題から、法人名義に整理したいと考える経営者は少なくありません。
ただ、そこで問題になるのが「いくらで特許を移すか」です。「自分が100%株主の会社なのだから、タダ(0円)で移しても誰にも迷惑をかけないし問題ないはずだ」と考えがちですが、特許権は目に見えなくても他社の参入を排除し利益を生み出す「価値ある財産」です。名義を変えるということは、税務署から見れば「価値ある財産が、ある人から別の人へ移動した経済取引」として扱われます。
あわせて読みたい:特許を譲渡・移転するときの適正価格はいくら?|税務リスクをケース別に解説
個人→法人は「他人間取引」と同じ基準が適用される
税務のルールにおいて最も重要な前提は、「社長個人」と「法人(会社)」は、法律上まったく別の人格(別の財布)であるということです。
たとえ社長が一人で経営している会社であっても、税務上は「見ず知らずの他人に特許を売却する」のと同じ基準が適用されます。したがって、特許を個人から法人へ譲渡する場合、原則として「第三者と取引する場合と同じ適正な価格(時価)」で取引をしなければなりません。
「身内だから安くする」という理屈は税務署には通用せず、適正価格から大きく外れた金額で取引を行うと、税務上のペナルティを受けることになります。
0円・実費で移した場合のリスク(みなし譲渡・受贈益)
では、本来なら数百万円の価値がある特許を、会社に「0円」や「特許庁に払った実費(数十万円)」だけで譲渡してしまった場合、具体的にどのようなリスクがあるのでしょうか。
この場合、特許を「安く売った社長個人」と「安く買った会社」の両方に、いわゆるダブル課税のリスクが発生します。
- 会社側のリスク(受贈益): 時価との差額分を「社長からタダでもらった(贈与された)」とみなされ、その利益(受贈益)に対して法人税が課税されます。
- 社長個人のリスク(みなし譲渡): 法人に対して著しく低い価格で資産を譲渡した場合、税務上は「本来の時価で売却したはずだ」とみなして計算され、受け取っていないお金に対して所得税(譲渡所得)が課税されてしまいます。
現金を受け取っていないのに税金だけを払わされる事態を防ぐためには、最初から「適正な時価」で譲渡契約を結ぶことが重要です。
商標の場合の解説はこちら:社長個人の商標を会社に移す時、いくらが正解?「0円・実費」の税務リスクと適正価格の算出ルール
適正価格の算出方法
税務署から「不当な低額譲渡だ」と指摘されないためには、「なぜこの価格で譲渡したのか」という客観的な根拠を用意しておく必要があります。
しかし、特許には不動産のような固定の相場がありません。そのため、対象となる特許が事業にどれだけ貢献しているかを、専門的な評価手法を用いて「時価」として算出する必要があります。ここで算出された評価額が、税務上の価格の妥当性を証明する根拠となります。
あわせて読みたい:特許価値評価の3つの手法(インカム・コスト・マーケット)を比較|どう使い分けるか?
稼働特許と休眠特許で評価が変わる
特許の時価を算出する際、その特許が「すでに製品に使われて利益を生んでいるか(稼働特許)」、それとも「まだ使っていないか(休眠特許)」によって、適用すべき評価アプローチが異なります。
すでに会社がその特許技術を使って製品を販売し、売上が立っている稼働特許の場合、将来の収益力に基づく「インカムアプローチ(RFR法など)」で評価するのが実務的です。
一方、まだ製品化されていない休眠特許であれば、将来の収益を予測することが難しいため、「同等の権利を一から取得するためにかかるコスト」をベースにした「コストアプローチ(再調達原価法)」を用いることで、客観的な時価の目安を算出することができます。
なお、社長個人名義で出願したばかりの「出願中(審査待ち)」の特許を会社設立直後に移転する場合は、事業ステージと審査の進み具合によって評価の方向性が異なります。以下はあくまで一般的な目安です。
| 事業ステージ | 審査の進み具合 | 推奨評価手法 | 価格水準の目安 |
|---|---|---|---|
| 創業期・売上なし | 出願直後・拒絶理由通知なし | コストアプローチ(出願実費ベース) | 低〜中:出願費用の実費相当 |
| 創業期・売上なし | 拒絶理由通知あり・登録見通し不透明 | コストアプローチ+リスクディスカウント | 低:実費より低くなる場合もあり |
| 成長期・売上あり | 出願中・拒絶理由通知なし(登録ほぼ確実) | インカムアプローチ×登録確率 | 中〜高:登録後に近い評価額になる |
| 成長期・売上あり | 登録済み | インカムアプローチ(RFR法) | 高:事業収益を反映した時価 |
出願中の段階で譲渡を検討しているなら、事業が成長するほど時価が高くなる傾向があるため、タイミングも含めて早めに確認しておくことをおすすめします。
あわせて読みたい:休眠特許の0円譲渡は危険?|税務署が指摘する「防衛的価値」と寄附金リスク
特許がまだ出願中の段階で会社に移す場合はどうなるか
社長個人名義で出願したばかりで、まだ審査結果が出ていない段階で会社に移したいという場合も、時価での取引が必要である点は登録済み特許と変わりません。ただし、審査の結果によっては権利が縮小されたり、最悪の場合は登録に至らない可能性があります。この「権利がどこまで認められるかわからない」という不確実性が、登録済み特許との評価上の最大の違いです。
この不確実性を根拠にディスカウント(値引き)が認められるかどうかは、次の4つの確認ポイントに基づく客観的な分析を書面で示せるかどうかにかかっています。
- 特許庁からの拒絶理由通知(OA)の有無と内容:OAが複数回来ており解消が困難な状況であれば、登録の見通しが厳しいとしてディスカウント幅を大きくとれます。逆にOAが一度もなく審査が順調であれば、過大なディスカウントは認められにくくなります。
- 審査で引用された先行技術文献の件数と近さ:引用文献が多く、出願した技術との距離が近いほど、権利として認められる範囲が狭まる可能性が高まります。
- 審査の過程での権利範囲の縮小リスク:広く出願しても審査で大幅に絞り込まれることがあります。当初想定した範囲で権利が取れる見込みが低いほど、評価額は低くなります。
- 現時点の事業化の段階(売上の有無):まだ試作品段階であれば収益予測は保守的にならざるを得ず、評価額も低く抑えられます。一方、出願中でも売上が急拡大している場合は、高い評価額が算出されることもあります。
出願直後で売上もない創業期であれば、出願にかかった実費(弁理士費用・特許庁費用)をベースにした価格が適正時価として認められやすい状況にあります。一方、審査が順調に進みOAもなく登録がほぼ確実な段階では、コストベースの低価格だけでは根拠として不十分になります。
よくある質問
Q1. 譲渡ではなく、社長個人から会社へ「無償で貸す(無償ライセンス)」なら問題ないですか?
A. 無償で貸し出す場合でも、会社は「本来払うべき使用料(ロイヤルティ)を免除してもらった」とみなされ、その免除益に対して法人税が課されるリスクがあります。仕組みと対処法の詳細はこちら:個人名義の特許を会社にタダで使わせていませんか?|気づかず積み上がる受贈益リスクと対処法
Q2. 会社に特許を買い取る資金がない場合はどうすればいいですか?
A. 評価額が高額で会社が一括で支払えない場合は、「譲渡」ではなく「有償ライセンス(売上に応じたロイヤルティを毎年払う形)」にするか、譲渡代金を分割払いにするなどの契約上の工夫が考えられます。
Q3. 出願中の特許を会社に移す場合も、時価での取引が必要ですか?
A. はい、必要です。審査中の段階であっても譲渡できる権利であり、時価での取引が求められます。ただし審査の不確実性を根拠にディスカウントが認められる余地があります。詳しくは上の「特許がまだ出願中の段階で会社に移す場合はどうなるか」をご覧ください。
まとめ
社長個人の特許を自社に移す行為は、税務署から見れば「社長と会社の間の資産売買」です。個人と法人は法律上まったく別の人格であるため、たとえ自分の会社であっても「0円で移せる」という理屈は通用しません。0円や実費で譲渡すると、会社に法人税・社長個人に所得税が二重にかかる「ダブル課税」のリスクが生じます。
このリスクを回避するには、「なぜこの価格で譲渡したのか」を客観的に説明できる状態を作っておくことが重要です。特許には固定の相場がないため、専門家が作成した評価書で時価の根拠を示しておくことが、税務上の説明力につながります。
※本記事に関する免責事項:本記事は、特許権の移転登録や価値評価に携わる弁理士の立場から、特許の譲渡に伴う税務上のリスクを整理したものです。税務に関する記述は、上記参考文献等の公開文献に基づく一般的な情報提供であり、個別の税務判断や税務申告上のアドバイスを行うものではありません。具体的な税務処理については、必ず税理士等の税務の専門家にご相談ください。
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参考文献
- 井上康一『移転価格税制についての素朴な疑問』(税務研究会出版局、2025年)
- 田島宏一ほか編著『移転価格税制・海外寄附金のケーススタディ50(第2版)』(中央経済社、2023年)
この記事を書いた人:弁理士・米田恵太(知育特許事務所)














