「特許やブランドを海外子会社に譲渡・ライセンスするときの価格──その根拠を、税務署に説明できますか?」──特許やブランドを海外子会社に譲渡する、ライセンスして使用料を受け取る、または技術支援の対価を受け取るといった取引で避けて通れないのが、移転価格税制(海外子会社との取引価格が”安すぎる”と税務署が判断すると、適正価格との差額に追加で課税される制度)です。
本田技研工業株式会社・武田薬品工業株式会社など複数の大手メーカーは、実際にこの制度で数百億〜千億円規模の追加課税を受けた事件があります。本田技研工業事件では、平成10年3月期分だけで483億円を超える追加課税となりました。しかし、それらの事件ではいずれも、無形資産の貢献度を立証することで企業側が課税処分の取消を勝ち取っています。
課税処分の取消を導いた決め手は、「特許・ブランド・ノウハウなどの価値や貢献度を、どう示せるか」でした。
本記事では、本田技研工業事件と武田薬品工業事件の2つの事例から、特許やブランドのグループ間取引(販売・ライセンス・技術支援)で何が争点になるのかを読み解き、事前に価値評価書を作っておくとどう役立つのかを整理します。
移転価格税制と「無形資産」──まず押さえたい3つの基本
本田技研工業・武田薬品工業の事例を紹介する前に、まず3つの基本を整理します。
① 税務署が見る「適正価格」のものさし──独立企業間価格(ALP)
親会社が海外子会社から受け取る金額が安すぎる、または海外子会社へ払う金額が高すぎると、親会社の利益が小さくなり、日本での税収が減ります。これを防ぐため、税務署は親子会社間の取引価格が「適正かどうか」を判断します。
その判断のものさしになるのが、関係のない他社同士なら成立するであろう価格=独立企業間価格(Arm’s Length Price、ALP)です(租税特別措置法66条の4)。ALPより低いと判断されると、税務署はその差額を親会社の所得に加算して追加課税します。
②「無形資産」は特許だけじゃない──ブランド・ノウハウ・顧客リストまで
移転価格税制で課税対象になる「無形資産」は、特許権・実用新案権・意匠権・商標権・ソフトウェア・ノウハウから、ブランド・顧客リスト・販売網まで幅広く含みます。そのため、特許権だけを譲渡したつもりが、ブランドや製造ノウハウまで一緒に譲渡されたと認定され、ALPの計算に含められることがあります。
③ 特許の名義人と「価値を生んだ会社」は別物
親子会社間取引のALPを算定するとき、税務署は「どの会社が無形資産の価値を生んだか」を見ます。特許権の登録名義が親会社にあっても、開発・改良・市場での使用に実際に貢献したのが子会社であれば、利益の配分は子会社側にも認められる可能性があります。「誰が法律上の権利者か」より「誰が価値を生んだか」を見る考え方です。
国際的な移転価格のルール(OECD移転価格ガイドライン)では、「誰が無形資産の価値を生んだか」を判断する基準として「DEMPE」(開発・改良・維持・保護・使用の5要素)を整理しています。日本でも、平成25年の武田薬品工業事件の裁決で、同じく「実質的に価値を生んだ会社」を見る判断が示されました(後述)。
事例1(裁判例):本田技研工業事件──ブラジル子会社への部品販売・技術支援
【本田技研工業事件/東京地裁 平成26年8月28日判決・東京高裁 平成27年5月13日確定】
事件の構図
本田技研工業株式会社は、ブラジルの子会社P1社(マナウス自由貿易地域で自動二輪車を製造)に対し、部品の販売・製造設備の販売・技術支援の役務提供を行い、対価を受領していました。P1社はブラジル市場で約90%の高いシェアを持ち多額の利益を上げていましたが、本田技研工業が受け取る対価は相対的に低かったため、税務署(大企業の移転価格案件は所轄の国税局が担当)は「親会社の取り分が少なすぎる」と判断。本件の対価が独立企業間価格に満たないと認定し、残余利益分割法を用いて、複数事業年度にわたる更正処分を行いました。本田技研工業はこの処分を不服として提訴し、東京地裁は課税処分を全部取り消しました(理由は次節)。
判決のポイント
税務署が用いた残余利益分割法は、親子会社の取引で生じた利益を「通常分(基本的利益)」と「それを超える超過分」に分け、超過分を両社の無形資産への貢献度に応じて配分する計算方法です。通常分の算定には、似た事業を行う他社(比較対象企業)の利益率が使われます。東京地裁が課税処分を取り消した最大の理由は、この通常分を算定するときに税務署が選んだ比較対象が「同じ条件で比較できる相手」とは言えなかった点にあります。
税務署は「他の会社ならいくらで取引するか」を確かめるため、ブラジルの他社を比較対象に選びました。しかし、選ばれた会社はいずれもマナウス税恩典(マナウス自由貿易地域で事業を行う企業への輸入税・州税の減免)の対象外。一方、本田技研工業の子会社P1社は税恩典によって大きな利益を得ていました。この特殊な差を調整しないまま計算された税額には根拠がない──そう判断されました。
取消されたのは「比較対象の選び方」だけで、税務署が残余利益分割法(取引利益を両社の貢献度に応じて配分する計算)を用いたこと自体は適法と判示されました。本田技研工業とP1社の双方が、それぞれ商標・ブランド、量産体制の確立に関するノウハウなど「重要な無形資産」を有しており、その貢献によって基本的利益を超える超過利益を得ていたと、裁判所が認めたからです。
実務へのヒント
この判決から、海外子会社と特許・ブランドの取引を行うときに見落としやすいリスクが2つ見えてきます。
① 「特許権だけ」のつもりが「ブランド・ノウハウも一緒に動いている」と認定されるリスク
海外子会社と特許権のライセンス契約を結び、ロイヤリティを「特許権の使用料」だけで設定していても、税務署が実態を見て「ブランドや製造ノウハウも一緒に提供されている。対価が不足している」と認定する可能性があります。判決では、ブランドや量産体制のノウハウが「重要な無形資産」として認定されました。
👉 対策:税務署に「対価が不足」と指摘された際に反論できるよう、契約書や評価書では、特許権だけでなく、関連するブランド・製造ノウハウもまとめて対象として整理しておく。
② 海外子会社の貢献を文書で示せないと、ロイヤリティが安すぎると認定されるリスク
海外子会社が独自に研究開発・改良・市場開拓を行っていても、その実態を文書で示せないと、税務署は「価値はすべて親会社のもの。親会社はもっと多くのロイヤリティを受け取るべき」と判断し、親会社の所得を増やす更正処分をする可能性があります。判決では、海外子会社にも独自の無形資産形成への貢献があると認められましたが、これは納税者側が子会社の貢献を具体的な書類(議事録・契約書・支出記録など)で示したからこそ認められたものです。
👉 対策:税務署に「価値はすべて親会社、ロイヤリティをもっと取るべき」と指摘された際に反論できるよう、子会社の研究開発・市場開拓・意思決定への関与を、契約書・議事録・支出記録に残しておく。
事例2(裁決例):武田薬品工業事件──米国合弁会社と医薬品の無形資産
【武田薬品工業事件/国税不服審判所 平成25年3月18日裁決(TAINS F0-2-503)】
事件の構図
武田薬品工業株式会社は、米国の合弁会社TAP社(武田薬品工業と米Abbott社の合弁会社)に対し、医療用医薬品の販売取引と、当該医薬品の特許権・ノウハウなどのライセンス取引を行っていました。TAP社は米国で医薬品を販売し多額の利益を上げていましたが、武田薬品工業が受け取るライセンス料は相対的に低かったため、税務署は「親会社の取り分が少なすぎる」と判断。武田薬品工業が研究開発費を負担しているのだから無形資産は同社側に帰属するという前提で、残余利益分割法を適用し、親会社側に利益が多く配分される計算で課税を行いました。武田薬品工業はこれに不服申立てを行い、国税不服審判所が課税処分を全額取り消す裁決を出しました(理由は次節)。
裁決のポイント
国税不服審判所は、税務署の「無形資産の法的な帰属を勘案すべき」との主張を排斥し、「無形資産の価値は、法的な所有関係だけでなく、無形資産を形成等させるための活動において関連当事者が行った貢献も勘案する」必要があると裁決で判断しました(出典:田島宏一ほか『移転価格税制・海外寄附金のケーススタディ50(第2版)』中央経済社、2023年、p.286)。
そして、米国市場向けの臨床試験について、研究テーマを実際に決め、進捗を管理し、失敗時のリスクを引き受けていたのはTAP社だったことが認定されました。武田薬品工業が研究開発費を出していたという形式上の事実よりも、実際に活動とリスクを担っていたのは誰かという実態が重視され、課税処分は全額取り消されました。
ここで重要なのは、特許権の名義(法的所有)だけでは無形資産の経済的価値の帰属を決められないという考え方が、行政の判断レベルで示されていることです。グループ間で特許を譲渡・ライセンスするとき、誰が開発し、誰が改良し、誰が市場で使用したかという貢献の整理(前述のDEMPEの考え方)が、後日の課税紛争で重要な意味を持つ場合があります。
実務へのヒント
この裁決から、海外子会社と特許・ブランドのライセンス取引を行うときに見落としやすいリスクが2つ見えてきます。
① 「親会社が研究開発費を払っているから無形資産は親会社のもの」と決めつけるリスク
海外子会社が現地で意思決定やリスク管理を実質的に行っているケースで、「研究開発費を親会社が支出している」だけを根拠にロイヤリティを高く設定すると、税務署が「実態は子会社にも貢献がある。利益配分が偏りすぎ」と判断する可能性があります。裁決では、研究開発費の支出という形式的事実より、TAP社の意思決定とリスク管理の実態が重視されました。
👉 対策:税務署に「研究開発費を親会社が払っているから無形資産は親会社のもの」と指摘された際に反論できるよう、子会社が現地で行う研究テーマの策定・進捗管理・リスク負担を、議事録・契約書・業務報告書に記録しておく。
② 法的所有(特許の登録名義)と経済的所有(実質貢献)を混同するリスク
特許の登録名義が親会社にあっても、海外子会社が現地で改良・市場開拓・品質管理を行っていれば、その経済的価値の一部は子会社に帰属する可能性があります。「特許権は親会社のもの」だけでライセンス契約を組むと、税務署が「実態を反映していない」と認定する可能性があります。
👉 対策:税務署に「特許名義が親会社だから経済的価値も親会社のもの」と指摘された際に反論できるよう、特許の登録名義とは別に、子会社の改良・市場開拓・現地適応の活動を文書化し、ロイヤリティ料率の算定根拠として残しておく。
両事例の比較
両事例とも税務署は同じ前提から課税しましたが、納税者が取消を勝ち取った立証ポイントは事件ごとに違いました。
| 観点 | 本田技研工業事件 | 武田薬品工業事件 |
|---|---|---|
| 子会社の所在 | ブラジル(マナウス自由貿易地域) | アメリカ |
| 取引内容 | 部品販売・技術支援 | 医薬品の販売、特許権・ノウハウのライセンス |
| 税務署の主張(共通) | 親会社が研究開発費を出して特許名義も持っているのに、親会社の取り分が少なすぎる。もっと高く受け取るべきだ。 | 同左 |
| 立証で覆した決め手 | ブラジル子会社(P1社)はマナウス税恩典を享受しており、税恩典のない他社を比較対象とすることは不適切──比較対象選定そのものに瑕疵があると認めさせた | 米国合弁会社(TAP社)が臨床試験の意思決定・リスク管理を実質的に行っていた──無形資産形成への貢献は両社にあり、利益配分が親会社に偏った計算は不適切と認めさせた |
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価値評価書は事実整理資料の一部──事前準備で何ができるか
移転価格に関する税務判断・申告方針は税理士の業務範囲です。一方、特許やブランドの価値を金額で評価したり、ライセンス料率の根拠を整理する場面では、弁理士の専門性が活かせます。移転価格対応でも、まさにこれと同じ作業が必要になります。特許・ブランドをグループ間で移転する前段階で、弁理士が特許・ブランドの時価とロイヤリティ料率の根拠を整理した価値評価書を作っておけば、後の移転価格対応で根拠資料として活用できる場合があります。
- 料率・譲渡価格の根拠資料:ロイヤリティ料率や譲渡価格について、業種別統計データ・判例DBの料率レンジ・類似ライセンス事例といった複数のデータをもとに「なぜその水準なのか」を説明できる状態を作る。
- 知財寄与度の事実整理メモ:誰が出願し、誰が改良し、誰が市場で使用したかを、特許出願経過・改良開発の関与者・販売活動の実態に即して整理しておく。武田薬品工業事件の論点に直結する事実整理です。
- 譲渡時点の時価の文書化:特許やブランドをグループ会社間で譲渡するときの譲渡価格(時価)を、その時点で文書化しておく。後日の課税紛争で「譲渡時点では適正な価格だった」と説明する根拠になります。
ただし、本田技研工業・武田薬品工業の両事例で課税処分の取消を勝ち取ったのは、いずれも税理士・弁護士を含む包括的な防御体制が組まれた大手企業です。弁理士の価値評価書だけで課税処分が取り消されるわけではありません。あくまで、税理士と並行して、無形資産に関する事実整理を弁理士が担う、という位置付けです。
よくある質問
Q. 中小企業のグループ会社間でも移転価格税制は適用されますか?
A. 海外関連者との取引であれば規模を問わず適用される可能性があります。近年は、中堅・中小企業への移転価格課税・寄附金課税も増加傾向にあると指摘されています(出典:田島宏一ほか『移転価格税制・海外寄附金のケーススタディ50(第2版)』)。国内グループ会社間の取引については、移転価格税制ではなく法人税法37条の寄附金課税(時価との差額を寄附金として認定する制度)やグループ法人税制下での譲渡損益繰延(法人税法61条の11)のほうが論点になるケースがあります。
Q. 特許の登録名義を子会社に移しただけで「無形資産が移転した」と認定されますか?
A. 登録名義の変更だけでは判断されないケースがあります。武田薬品工業事件のように、開発の意思決定・リスク管理・市場開拓の実態が誰にあるかを総合判断する考え方が定着しています。逆に、登録名義は親会社のままでも、実質的な機能を子会社が果たしていれば、子会社側に経済的な帰属が認められる可能性があります。
Q. 弁理士は移転価格の相談を受けられますか?
A. 弁理士の業務範囲は知的財産の権利化・価値評価・ライセンス契約のサポートです。税務代理や個別の税務判断・申告方針は税理士の業務範囲となります。弊所では、無形資産の価値評価書の作成や、知財寄与度に関する事実整理メモの作成(DEMPE的な観点での貢献整理を含む)を行います。移転価格対応の場面で活用される場合は、お客様の税理士と並行して進めることが可能です。
まとめ
本田技研工業事件(裁判例)・武田薬品工業事件(国税不服審判所の裁決)はいずれも、課税処分が取り消された移転価格事例です。中心論点は「無形資産の価値・貢献度をどう評価するか」──特許やブランドの価値を金額で評価したり、ライセンス料率の根拠を整理したりする場面で、弁理士の専門性が活かせる領域です。
納税者側が課税処分の取消を勝ち取った鍵は、法的な書面だけでなく、子会社が現地で何をやって、どんなリスクを引き受けていたかを整理して示すことでした。特許・ブランドのグループ間移転の前段階で、何を移転しているか(特許・ブランド・ノウハウ)と、その価値の根拠を整理しておくこと──ここに弁理士の知見も活用できれば、税理士と進める移転価格対応を補強する材料になり得ます。
税務判断は税理士、無形資産の価値評価は弁理士──連携できる体制を、移転の前段階で整えておくことをおすすめします。
※本記事は、公開された裁判例・裁決例・解説書をもとにした一般的な情報提供です。個別の税務判断・申告方針については税理士に、知的財産の価値評価・契約設計については弁理士に、それぞれご相談ください。記事の数値は判決・裁決時点の情報に基づいて整理しており、特定の結論を保証するものではありません。
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参考文献
- 田島宏一ほか編著『移転価格税制・海外寄附金のケーススタディ50(第2版)』(中央経済社、2023年)
- 井上康一『移転価格税制についての素朴な疑問』(2025年)
- 手塚崇史『Q&A 知的財産権取引の国際課税・国内課税』(清文社、2010年)
- 本田技研工業事件 東京地裁 平成26年8月28日判決(東京高裁 平成27年5月13日確定)
- 武田薬品工業事件 国税不服審判所 平成25年3月18日裁決(TAINS F0-2-503)
この記事を書いた人:弁理士・米田恵太(知育特許事務所)














